ナムラクレセント(欧字名:Namura Crescent、2005年4月22日 - 2022年11月11日)は、日本の競走馬。主な勝ち鞍に2011年の阪神大賞典。

馬名の意味は、冠名+「三日月」を意味する「Crescent」。

経歴

2 - 3歳時(2007年 - 2008年)

2007年12月23日、阪神競馬場第5競走の2歳新馬戦で、石橋守を鞍上にデビューし、ルールプロスパーの5着。その後年明けの未勝利戦を制すが、川田将雅と挑んだきさらぎ賞で8着と敗れる。続く条件戦は小牧太とのコンビで4着、そのまま小島を鞍上に2戦しどちらも勝利して、菊花賞トライアルの神戸新聞杯へ出走。ここでは和田竜二に乗り替わって挑み6着し、本番の菊花賞では9番人気ながら3着と大健闘した。この年は菊花賞を最後にレースを終える。

4歳時(2009年)

2009年は御堂筋ステークス(1000万下)より始動し2着。さらに阪神大賞典へ出走し3着と健闘した。その後条件戦を4戦、2勝して毎日王冠へ出走し4着。続くアンドロメダステークス(OP)を制し、鳴尾記念では3着となった。

5歳時(2010年)

2010年は日経賞より始動するも8着。続く天皇賞・春で4着と健闘したものの、金鯱賞と宝塚記念では掲示板を外した。秋はカシオペアステークス(OP)を2着したが、その後の重賞2戦はどちらも掲示板入りできず、レースを終えた。

6歳時(2011年)

2011年は日経新春杯より始動し4着。続く阪神大賞典では3番人気の支持で出走し、2着コスモメドウを3馬身以上離す快勝で重賞初制覇を果たした。さらに、天皇賞・春でも3着と健闘したが、宝塚記念、アルゼンチン共和国杯では14着、13着と惨敗が続き、12月のステイヤーズステークスは5着となった。

7歳時(2012年)

2012年も日経新春杯より始動したが、出走した12頭中10着と惨敗。その後、連覇の掛かる阪神大賞典に出走し、圧倒的1番人気に支持されていたオルフェーヴルの逸走による大混乱が起こったなか、なんとかギュスターヴクライの半馬身差2着に食い込んだオルフェーヴルに2馬身以上付けられた3着となった。続く天皇賞・春に出走するも9着に敗れ、レース後、左前浅屈腱炎の発症がわかり、9ヶ月近くの休養を余儀なくされることとなった。結果的に中央競馬での復帰は叶わず、11月15日付で登録を抹消し、浦和競馬へ移籍した。

8 - 9歳時(2013年 - 2014年)

移籍後は4戦を南関東競馬で走ったが1勝も挙げることは出来なかった。4月9日のレースを最後に再び休養し、その後高知に移籍、12月1日復帰した。高知転入当初はA級格付けで6戦してすべて着外だったが、C3に降級後の9戦では降級4戦目で阪神大賞典以来の勝利を挙げるなど2勝2着4回の成績を残す。2014年7月27日のレースを最後に現役を引退。

引退後

引退後は、栃木県那須塩原市のブレーヴステイブルにて繋養された。2014年10月より引退名馬繋養展示事業の助成対象馬になっていたが、2022年11月11日に死亡した。17歳没。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.comおよびJBISサーチに基づく。

血統表

  • 4代母スワンズウツドグローヴを祖とする牝系からは、1988東京優駿勝ち馬のサクラチヨノオーをはじめ、多数の活躍馬が出ている。

脚注

注釈

出典

外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ、Racing Post

ナムラクレセント(2021年4月撮影) YouTube

中公新書ラクレ ONLINE

ナムラクレセント

【訃報】ナムラクレセント|あにまん掲示板

株式会社ラクヴェレ 魅力ある日本製品を世界中に届けています。