SuperVia(スーペルヴィーア、伯: SuperVia Trens Urbanos)は、ブラジル・リオデジャネイロの都市圏近郊鉄道の名称である。
歴史
1858年に現在SuperViaの運行する路線がペドロ2世鉄道として開業した。この鉄道は1889年の共和制施行に伴いブラジル中央鉄道に改称された。これらは当時、サンパウロやベロオリゾンテと並ぶブラジルで最大の郊外鉄道網の一つと言われた。電化も行われ、電車が走るようになった。1957年にブラジル連邦鉄道(RFFSA)が創設され、ブラジル中央鉄道はブラジル連邦鉄道に併合された。ブラジル中央鉄道から引き継がれたこの郊外電車網はブラジル連邦鉄道の重要な部門と位置づけられた。1967年にリオデジャネイロとサンパウロとの間の高速道路が全通した頃からブラジル全土において、鉄道は急速に力を失っていき、政府の公共交通事業のなかでの優先順位は下がるばかりであった。そのような中で重要な部門であったこれらの郊外電車網を別の運営体へ移管させることが決定し、1984年にブラジル都市鉄道会社(CBTU)が近代化を目的に発足した。1994年にはリオデジャネイロ州政府の認可を得てこの郊外電車網はブラジル都市鉄道会社からリオデジャネイロ州都市鉄道会社(Flumitrens)へ運営が移管された。しかし鉄道の保守への公共投資の不足により、事故等に対する安全性や運転時刻の正確・信頼性の低下、駅等鉄道施設の荒廃、予防保全を行っていないことや運行サービスの劣化に抗議する一部の乗客の破壊行為により稼働する車両が減少したことにより、民間のバスなどの道路交通に対する競争性を失い、1984年に1日当たり100万人の利用客を輸送していたものが1996年には1日当たりわずか14.5万人に落ち込むという深刻な危機に陥った。
この状況から打開するために、これらの郊外電車網は民営化されることになり、運行と保守の事業が入札にかけられ、1998年11月1日からの25年の運営権を落札(運営権はさらに25年の延長が可能である)した企業連合によって、SuperViaと呼ばれる会社が創設された。SuperViaは世界銀行からの融資などを受け、乗車券の電子化、車両の修繕や更新、枕木・レールや架線の交換、荒廃していた駅の改装や補修を行い、一部区間では電化区間の延長が図られた。また既存の一部の車両を冷房化したほか、冷房つきの新車を次々と購入した。これらの施策により2016年の1日当たりの利用客は約75万人まで持ち直した。
車両
- 斜字の形式は他形式を改造して誕生した形式およびその改造年を示す。なお、ここではSuperVia以前の事業者の時代に引退した車両も述べる。
電車
ディーゼル機関車
1600 mm(広軌)用
1000mm(狭軌)用
客車
1600 mm(広軌)用
上記の電車のうち、100形・200形・110形・400形の一部編成は交換部品の不足のため、一時期客車として運用された経歴を持つが、100形を除くそれらのほとんどは運営がSuperViaへ移管される以前に、日本企業およびそのノックダウン生産の電気機器を搭載したうえで電車へ復帰している。
100形を電装解除した車両は老朽化していたこともあり、再び電装することなく引退したが、数両は再び電装することのなかった一部の200形とともに保線用車両へ改造されて活躍を続けている。
1000 mm(狭軌)用
両開きの扉が片側につき3か所設置された車両が運用されている。8700形はかつてのレオポルジーナ鉄道が開通させた1000 mm軌間の路線(現在のサラクルナ線およびそれと接続する2つの路線)用として運行を開始したが、サラクルナ線の電化および広軌化により、それらの工事が施行されなかった区間の専属車両となった。
なお、8700形と同型の車両はブラジル東北部の各都市の近郊鉄道においても活躍している。
路線
一部区間は複々線となっており、一部路線の重複区間では3複線となる区間も存在。普通(各駅停車)運転の他に、平日には快速運転が、デオドロ線では急行運転も行われている。普段は24時間運行ではないが、2010年のカーニバルの際には一部区間で終夜運転が行われた。以下に路線を示す。
- 急行(Expresso)
ギャラリー
注釈と出典
関連項目
- セントラル・ド・ブラジル駅
- リオデジャネイロ地下鉄
- サンパウロ都市圏鉄道会社




