文 博士(ふみ の はかせ)は、飛鳥時代の人物。名は博勢とも記す。姓は忌寸。公務を帯びて2度、南島に使いした。
出自
書氏(文首、文連、文忌寸)は漢の高祖(劉邦)の後裔で応神朝に来朝した王仁の子孫である西文氏の宗家。
経歴
持統天皇9年(695年)進広参・下訳語諸田と共に多禰(種子島)に派遣され、南方を探索する(当時の冠位は務広弐(正七位下相当))。
文武天皇2年(698年)博士を含む8人が、南島に国を求めて派遣され、一行は武器を受領して赴いている。翌文武天皇3年(699年)7月に南島の多褹(種子島)・夜久(屋久島)・菴味(奄美大島)・度感(徳之島)の人が朝廷の官人に従って来朝し、各土地の産物を貢いだ。特に、度感はこのとき始めて来朝した。このときの一行に博士は同行していなかったらしく、同年11月になってから刑部真木と共に帰朝し、昇叙されている。
脚注
参考文献
- 宇治谷孟『日本書紀 (下)』講談社学術文庫、1988年
- 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社学術文庫、1995年
- 佐伯有清編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年



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